広島工業大学の卒業生は現在28000人を超え、それぞれ各界でご活躍の由、心からお喜びを申し上げます。
私は、川崎前学長の後任として、平成11年4月から学長を勤めさせていただいています。私と広島工業大学との出会いは今から30年以上も前になります。実は、私の親父が昭和40年から10年間本学にお世話になり、土木工学科で教鞭を取っていましたので、卒業生のなかには親父を知っている方も多いと推察いたします。私の専門は親父と同じ土木工学です。違いは父が橋梁、私はトンネルです。いずれにしても、親子二代の土木屋であり、ニ代に亘り本学にお世話になっております。よろしくお願い致します。
さて、私は神戸大学工学部土木工学科を昭和33年に卒業し、京都大学大学院修士課程を修了した後、大阪市交通局で地下鉄の駅舎や高架橋などの構造物の設計に携わりました。その後、フルブライト奨学金を得てアメリカのミシガン州立大学へ留学する機会を頂き、放射性廃棄物の地層処理でPh.Dの学位を取得、昭和41年神戸大学土木工学科助教授、昭和48年からは教授として平成11年まで勤めました。
専門のトンネル工学では、青函トンネルの技術委員会のメンバーとして10年以上勉強する機会がありました。それが契機となり、その後、瀬戸大橋に接続する鷲羽山トンネル(4つ目のトンネルとして有名)、明石海峡大橋の本州側に接続する舞子トンネルなど、さらに、国内外の大規模地下発電所空洞の現場計測と掘削管理に関係することになりました。私の研究のアプローチは"実際から理論へ"です。すなわち、現場で観察(計測)された現象から理論を構築することです。
最近は、地下空間の持つ神秘性と幻想性に魅せられて、地下空間における新しいアートの創造を夢みて研究を行っています。暗黒と静寂の三次元空間において光・色・音をキーワードに、最先端の科学技術を駆使して土木技術者とアーティストが協力し、今までに無いまったく新しいアートを創造しようとするものです。すでに、釜石鉱山や神岡鉱山の地下空間を使ってホログラフィーなどの光と音響の実験を行ってきました。そして、その作品の発表をフィンランド・レトレッティ・地下アートセンターで3か月間実施し、好評を得ました。その結果、地下において人類が今だ手に入れていない新しいアートを創造することも夢で無いと確信しています。以上、私の土木技術者としての仕事の一端をご紹介させていただきました。
さて、いま大学をとりまく情勢は少子化、国際化、情報化など、いずれをとっても非常に厳しいものがあります。今後はこれらの難問を解決し、ますます輝く大学を目指さなければなりません。厳しいときにはチャンスありをモットーに教職員一丸となって、更なる発展のために努力しております。同窓生の皆さん方にもいろいろな面でご協力、ご支援を頂きたくお願い申し上げます。21世紀を迎え、同窓会の今後ますますのご発展を祈念申し上げます。
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