OBだより (第24回) 2001.09.25 |
(かがわ・せいじ)
香川 誠二 さん
廿日市市議会議員
(昭和56年(1981年)経営工学科 卒業)
香川 誠二 さん
廿日市市議会議員
(昭和56年(1981年)経営工学科 卒業)

広島工大を卒業して早いもので20年にもなります。今だに脳裏には学生時代の沢山の想い出が濃厚に残っています。 想い返せば子供から大人へ飛躍する人生の時でした…。 |
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将来を発見 ・昭和46年,工大推薦入学を目指し,広島工業大学附属工業高校,電気科に入学する。 ・高校時代に,子供の頃からの夢だったサイクリングの旅で単独,九州一周,日本最北端宗谷岬まで日本縦断を達成する。 ・広島工大進学が決まり読売新聞奨学金を受ける。 ・1回生,昭和49年広島工大,経営工学科に入学する。第10期サイクリング部に入部する。 ・2回生,留年。 ・3回生,サイクリング部主将を努め,部訓に“挑戦”を掲げる。 ・4回生,留年。中退を考え公務員試験を受けるも失敗する。体育会執行部に入り,広島県大学体育連盟理事長を努める。 ・5回生,友の誘いで身体障害者のボランティア活動に参加する。このことが自分自身の将来を決める足掛かりとなる。昭和54年3月20日結婚,5日後に留年通知届く。 ・6回生,留年。西中国キリスト教社会福祉事業団,特別養護老人ホーム清鈴園に就職し,老人福祉の道へ進む。長男誕生。翌日,品質管理試験用紙に喜びを報告する。 ・7回生,卒業式に親子3人で出席し今では笑い話となる。 |
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苦楽が人生の支え 広島工大入学を目指し卒業するまでの10年間は,学業だけでなく色々な体験を心身で学ぶ場となりました。その一つ一つを乗り越えて来れたのは,多くの恩師,友人が助け励まし,支えて下さったおかげだと感謝しています。 今になってみれば留年3回は余計な寄り道でしたが,私にとっては人生を選択する上で,貴重な体験を与えてくれました。 また,この時に体験した苦楽を仕事に生かすことができ,人生の支えとなってます。そして,広島工大の教育方針「常に神と共に歩み社会に奉仕する」ことが私自身の人生と言っても過言ではありません。 |
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人生の宝もの | ||
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