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 OBだより (第28回) 2002.03.20


(くろだ・じゅんいち)
黒田 純一 さん
株式会社 エム・ソフト 海外法人対策室 勤務
(昭和60年(1985年)土木工学科 卒業)
黒田純一さん



企業理念は東南アジア経済への貢献

高校時代から志していた「土木屋」になるべく土木工学科を卒業、同時にその夢の第一歩を踏み出したのですが現実はそんなに甘くはありませんでした。翌春、転職を余儀なくされましたが、その当時、まだポピュラーとは言えなかったソフトハウスを選択したのも、今思えば在学中にプログラミング演習を受けていたのがきっかけになったように思います。

3年後、現在の就職先である株式会社エム・ソフト(2002年3月現在 社員数160名)の社長に出会い、私の人生は大きく変わりました。同社に就職して今年で14年目になりますが、1998年、タイ国に100%出資子会社「エム・ソフトタイランド」を設立することになり、その立ち上げ役として私に白羽の矢が当たりました。現在は最高責任者を命じられ、毎月20日間をタイ国の首都バンコクで過ごすというタイと日本との往復生活を送っています。

中央が弊社タイのオフィスが入っているビルです。バンコクのビジネス街(シーロム通り)の一角にあります。
中央が弊社タイのオフィスが入っているビルです。
バンコクのビジネス街(シーロム通り)の一角にあります。

設立当初、初めての土地で言葉も右も左も分からない状況でしたが、タイの人達の心温かい応対に随分と助けられました。バンコクはタイ語でクルンテープと言い、『天使の都』という意味だそうです。小さなことに拘らない懐の深さは、さすがにアジア大陸の民だと感心させられます。多くの血が交じり合い、また我々日本人とも関係の深い国ですが、新参者の私にとって彼ら彼女らの満面の笑みは正に天使の笑顔でした(勿論、全てがそうであると言うわけではありませんし、この笑顔に人生を翻弄された方が大勢いるようですが、それはどこの国にでもある事情だと思います)。

タイ人社員も今は20名、この春には4人が新たに入社する予定になっています。これまでの300名を超える応募者の中なら選ばれただけに、優秀なスタッフばかりです。過去7名のタイ人社員を日本に招へいし、技術教育を行いました。うち1名はその優秀さが認められて、長期派遣社員として現在東京都内の大手メーカーへ出向しています。

企業人の視点から見ると、タイ人社員は謙虚でありながら向上心旺盛であるのが特徴と言えます。弊社が日系企業であることから全員が自主的に自費で日本語学校に通っていることは、その顕著な例と言えるでしょう。しかし、我々は彼らに日本企業のあり方をそのまま押し付けるつもりはありません。タイ国にはタイ国の良さがあり、双方の良い点を融合して弊社独自の企業文化を創造したいと考えています。そして将来は、タイ人による経営を目指しています。

勿論、タイ国も良いところばかりではなく、まだまだ多くの問題を抱えています。特に未だ貧富の差が激しく、学校にすら通うことのできない子供も大勢いることは周知の通りです。世界に8億人いると言われる非識字者のうち、6億人がアジアに住む人達だという調査結果もあります。利益を追求するのが企業の宿命ですが、我々がタイ国市場へ参入することで一人でも多くの雇用機会を提供し、いずれは隣国へ事業展開して東南アジア経済の一翼を担うという意気込みで努力しています。


余談ですが…

大学時代は海老園のアパートに住んでおりました。生活費は自身で得る必要があったため、アルバイトに明け暮れる毎日でした。

2年になる年には、どうしても北海道の牧場のアルバイトがしたくて、休みが合わなかったことから1年間休学したこともあります。正直、大学での勉強よりも、バイト先で学んだことが現在の自分を形成してくれたように思います。

しかし、工大は本当に好きでしたし、今も工大OBであることに誇りを持っています。大学時代の友人とは今も懇意にしている者がおり、いろいろと情報交換も行っています。自分から見ても、尊敬できる者が何人もいます。

もう、随分長いこと、工大には足を運んでいません。なかなか機会がありませんが、ちょうど人生の折り返し地点でもありますし、一度尋ねて初心を取り戻したいとも思います。そう言う意味で、今回の原稿依頼は、自分にとって非常に良い機会を得たと感謝いたしております。

もし、お伺いする機会がありましたら、ご連絡させて頂きます。中山(隆弘)先生にも宜しくお伝えください。

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