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 OBだより (第46回) 2008.04.18


(おおつか・としひで)
大塚 俊英 さん
熊谷組首都圏支店
城山八王子トンネル作業所 所長
(昭和51年(1976年)土木工学科 卒業)
大塚俊英さん



関東の地で工大を思う

首都圏中央連絡自動車道(略して圏央道)を東京都八王子市で建設しています。この高速自動車道では、私が責任者として2つ目のトンネル工事であり今月末の完成を目指して頑張っております。


東京に来て、はや11年たちました。私の実家は五日市なので、広島に帰るたびに三宅の方を見ると我が母校がでんとしてそびえており、とても懐かしくまた心強く思っています。

私が在籍したのは昭和47年から51年で、今のような立派な校舎ではありませんでしたが、3号館の前の芝生で寝転がって友達と夢見たいな話をしたり、武道館の地下でフォークソングの練習に明け暮れた事や大学祭で馬鹿騒ぎした事、モニカで大盛りの学食を食べた事などが懐かしく思い出されます。卒業後、大学には1〜2回しか立ち寄っていませんが、ホームページを拝見すると、大発展を遂げているようですね。嬉しい限りです。

在籍学科は土木工学科で4年次は新2号館の地下、水工研究室に生息しておりました。薄汚れた白衣の下はTシャツ・Gパン、足元はサンダル、髪は長く、いわゆるフォークソングに出てくる汚い兄ちゃんの典型であった事を記憶しております。島先生の指導のもと、毎日(というのは嘘で結構さぼっていましたが・・・)地質模型に雨を降らして崩壊させる実験、いわゆる防災実験をやっておりました。卒業後ゼネコンに就職、広島、島根、鳥取、岡山、神戸、沖縄、東京と全国をまわりました。部下にも工大卒の人が配置されました事もあります。同窓、後輩はいいですよね、同窓会のつながりはやはり大事にせねばなりません。

今、慶応大学の入学金廃止や、東京大学の学費免除等、大学環境が激変する動きがあります。でも工大は工大独自のアイデンティティを持ちつづけて中四国、いや日本を代表する大学になってほしいと願っています。今、東京地区の大学ではホームカミングという母校回帰が盛んになっています。私もこの年になると母校が懐かしくなりますね。残念ながら我が息子は工大に行かず東広島にある国立大学に行きましたが孫が出来たら是非、工大に行かせたいと思っています。そして、おじいさんとなった私が青春を過ごした工大時代の懐かしい話をするのが夢でもあるんですよ。頑張れ工大!

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