OBだより (第2回) 2000.09.21

庭木岳文さん
(にわき・たけふみ)
庭木 岳文 さん
(昭和50年(1975年)機械工学科 卒業)

新ダイワ工業株式会社 勤務


先日,恩師の小西先生より,投稿の依頼をいただき,書きものの苦手な私にとって,いささか,気の重い事ではありますが,勇気をふるいたたせて,誌面を汚させていただく事にしました。

今,仕事でアメリカ行の機内にて,ペンを持っています。(機のスピードに比べて,なんと,ペンの遅いことか!)

まず,思い出されますのは,学生時代の友との悪行

当時の友人とは,今も時折,連絡をとり合い,昔話に精を出します。
この時は,引き出しの奥深くしまい込んでいた事も容赦なく白日にさらされます。

次に,試験の一喜一憂成績表は,子どもの目の届かぬ所に,大切に保管してあるはずである。
若かりし時の思い出は,眼下の白い雲の合間に見えかくれする,青い海の様です。

前同窓会会長永見さん、鶴副理事長と
前同窓会会長永見さん、鶴副理事長と
(小西先生の自宅にて)

感傷に浸るのはこれくらいにして,卒業後の事をお話ししましょう。

私は,昭和50年に卒業し,工業炉メーカーの,三建産業株式会社に入社いたしました。そこでは,10年間お世話になりました。時,折しも,オイルショックの真只中の頃でした。
この10年間に,社会人としての責任や,仕事のとりくみの姿勢等,基礎を勉強させていただいたと思います。

昭和60年,新タイワ工業株式会社に中途入社し,現在に至ります。当社は,大証二部上場という記念すべき年の入社でありました。

最初に配属された生産本部におきましては,体質改善,および,徹底したムダ排除運動が実施されました。

私は,5S事務局員を兼務すると共に,品質管理部門並びに,購買部門において,品質,納期改善対策や,バフル時の値上げ攻勢対策に携わりました。

その後,子会社の新ダイワ工ンジニアリンク(株)設立に伴い,2年間ほど出向し,製造,人事,管理等,あらゆる業務に従事いたしました。24時間連続稼動の板金機械のトラフル時には,真冬に機械の傍らに寝泊まりしたことも,今となっては,良き思い出となっています。

後に,本社に帰り,営業本部の農林部に所属となり,当社の創業時よりの商品である,工ンジンチェンソー・刈払機の販売に,全国の営業店をまわりました。

まもなく,新型発電機販売に伴い,プロジェクトチームで,開発から,製造・営業推進に至るまで携わっています。

昨年より,取締役の大役を仰せつかり,責任の重大さに改めて身の引き締る思いです。

社会に出て,四半世紀,多くの人と知り合い,激しい景気の波も体験しました。

製造業に従事する者として,「品質は命であり,納期は力(ちから)であり,価格は繁栄であり,変化はチャンスである。」を念頭に仕事に取り組んでいます。


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