OBだより (第44回) 2006.01.13

(こだま・よしかず)
児玉 美和 さん


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(平成元年(1989年)機械工学科 卒業)
児玉美和さん


広島工業大学の思い出(鶴襄先生との思い出)

 十数年前にもなりますが、広島全日空ホテルで開催された同窓会に出席した際に鶴先生にお話がしたい旨をお伝えしました。鶴先生は快諾され、秘書の方から連絡をすると仰いました。それから、多分、1週間も経たないうちに連絡があり、お会いする日時が決まりました。私みたいな若輩ものにすぐにお会いして頂ける事に感動しました。私が鶴先生にお会いしたかった理由は当時、株式会社ヒロテックの設計部設計2課に所属しており、海外とのお客さんとのお付き合いがあり、建学の精神「教育は愛なり」を英語でどう訳せばいいのかを教えて頂きたかった事、友達が深刻な悩みを抱えていた事を相談したかったと記憶しています。鶴先生は新1号館の最上階だったと思いますが、そこに事務所をおき、感じのいい美人の二人の秘書がおられました。

 肝心の教育は愛なりの英訳は教えて頂けなく、Education is Loveでいいのですかとお聞きしても答えて頂けませんでした。それと別に組織のあり方、物の伝え方、神についてなど約1時間以上もお話しました。そして、食事でもしようと仰り、新1号館の食堂でカレーライスを奢って頂きました。鶴先生が若い私と気軽に話をしながら食事をしている姿に教職員の方は驚きの目でみて、それを誇りに思った事を今でも鮮明に覚えています。

 帰り際に鶴先生があれはないかといってプレゼントを頂いたのですが、あれはなく、年配の方がたまにしている紐ネクタイを頂きました。若かった僕はコレを僕にと思いましたが有り難く頂きました(しかし、整理整頓の悪い僕はなくしてしまいました。鶴先生、すいません)。私は祖母が書道の先生をしていたので愛という書をお渡ししました。

 サービス業の仕事をしているので年末は忙しく、新聞を読む暇もなく、年始にまとめ読みをしていて鶴先生の訃報を知りました。非常に残念な事ですが、生き証人の一人として、また広島工業大学の卒業生として、恥じないよう生きることが鶴先生への恩返しになると思い生きたいと思います。

 最後に、学園生活で一番の思い出は中西助次先生に僕の後輩の授業で"児玉は成績は悪いがガッツがある"と言われた事と海外の大学院に留学する際に当時の学部長に推薦状にサインをしていただいた事です。広島工業大学にはいい学生といい先生が集まるいい大学だと思います。


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